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| 20世紀の幕開けである明治34年(1901)、東京法学院時代の中大に、花井卓蔵教授を中心として学生有志の力で「生徒練弁会」が、
「実力の養成と共に弁論の練習は又欠くべからざる所なるを以つて」組織された。その後明治42年に至り、この練弁会の名称は、花井教授の提案によつて、
「辞達学会」と改称され、初代会長に奥田義人(後に中大学長、司法大臣)、副会長に花井卓蔵の両教授が推戴され、その活動は一段と活発化したのである。 花井教授は「雄弁は術に非ずして、人格の発露である。故に雄弁道を歩まんとするものは、この道を通じて、人格の養成をなさねばならない。」とし、単に雄弁のみに終始せず、『論語』衛霊公第十五「子曰辞達而己矣」の精神を旨として空虚な美辞麗句や徒らなる強弁漫語を戒め、自己の所信を堂々と表明し、その意を正しく人に達すべきものであると説かれ、此処に本会会名の出典を求められたのである。 かくして、辞達学会は、雄弁の研鎖を通じて人格を練磨する修養団体であり、人格陶治の道場としての根本精神の礎定を見るに至ったのである。以来、辞達学会は、大正15年『学報』第6号に「我が中央大学が各大学に対して最も誇り得るのは、何といっても辞達学会である云々」と言わしむ程にその隆盛をきわめ、“中大に辞達学会あり”と学内外にその名をおかせたのである。時代は大正から激動の昭和ヘと移り、辞達学会は創設者花井卓蔵博士の急逝、言論統制の学生弁論界への波及、安保条約に対する学生運動の激化など幾多の苦難に直面した。しかしながら、その都度局面を打開しつつ、「辞達」の精神を変えることなく受け継ぎ、今日学生弁論界に於いて指導的地位を築き上げたのである。またそれと共に政界、法曹界をはじめ、社会のあらゆる分野に多くの俊英を輩出してきた。 国会においては海部俊樹氏(元内閣総理大臣)、塚本三郎氏(元民社党委員長)をはじめとした多くの議員が、法曹界、学界においては堂野達也氏(元日弁連会長)、戸田修三氏(元中大学長)をはじめとした数多くの弁護士、学究がその手腕を発揮している。 この他、地方議員、実業家として或いは公認会計士、言論人として活躍している出身者も多い。 |